筒井教室は昭和29年
現在の筒井小学校に隣接していた駐在所(交番)が始まりでした
初代間山陵風27歳のころ、姉が山口正顕氏(巡査)に嫁ぎ、その駐在所で習字を始めたのでした
足の悪かった初代の父は車はおろか、自転車さえ乗れなかったので、北片岡(長島)から通うのにはバスを使って行くのでした
今のように一日に何便もバスが通ってる時代じゃなかったはず
バスに乗るだけでも大変だったようです
私の叔母が駐在のカミさんをしてた関係で、あちこちに顔を利いていたようで、生徒も増え場所を探していたら、ちょうど近くで筒井小学校真向かいに土田商店という塩、タバコ、雑貨屋がありました。そこのおカミさんが店の中の一部の倉庫にしていた部屋を開けてくれて、教室の移転が可能になりました
いくらで貸してくれたかは分かりません
昭和29年といえばまだかなり物価も安い時代でした。
おそらく中学校卒での初給料で800円、高校卒で1000円くらいでしょうか
想像ですが、古い家でしたので500~1000円くらいの家賃ではなかったでしょうか?
すると生徒のお月謝も一ヶ月で「80円」とかせいぜい100円くらいでしょうか
子供の多い時代でしたが、みんな貧しかった時代でしたので、高い月謝は取れなかったと聞いています 貧しい家の子だとお月謝を免除したり、半分にしたりしたとも聞きました
生活で足りない分は母が回り床屋をして、足しにしていたようです。
(母は生家が床屋で、嫁にくるまで床屋をしていたのでした)
この筒井教室の生徒たちは、主に幸畑の子供たちが多かったようです
今のように桜川団地もありませんので、筒井という部落、浜田の場所も筒井でした
あとは中筒井
幸畑の部落の子供たちは学校は筒井小学校でしたので、朝早く歩いて1~2時間かけて通ったそうです
とくに冬は雪で道が隠れてしまって、ドブに落ちてしまうことも日常茶飯事だったそうです。
私が初めて行った頃(昭和46年)ころはバスがありましたが、やはり学校は筒井小でした。偉かったですねぇ、遠くの子ほど忍耐強くて上手な子が多かったようです。
写真は土田商店前、顔ぶれの様子から、昭和31年頃だと推察いたします
こうした記念写真は何故か?雪の中が多いようです
たぶん正月の記念か冬休みに入る前だと思いますね。
従兄弟の山口さんの兄弟がおります
さて、この商店、津軽特有のこもせスタイルで、戸を開ければ120cmくらいの廊下のような土間の道がありました
そして木製のシャッターのような板でしきっているのです
奥は長屋のように長くて何世帯かに借家として貸していました
そこには共同のトイレや井戸がありまして、また土蔵もありました
その通路はすべて土間でしたので、丸いデコボコがずっとありました
私が初めて教室に行ったとき(昭和46年)もそのままだったのです
トイレが怖かったのを記憶しています
初代に初めて貸してくれたおかみさんは長男にお嫁さんがきてからは、奥に引っ込みまして、私が家賃を支払うときだけたまに会うことができました
すでに80を半ばの人だったと思います
残念なのは、お店の中にあったこの頃の教室の写真がないことです 撮っておけばよかったなぁとつくづく思います
この筒井教室もなんとH16年ころまで50年もの間、土田商店さんのお世話になったのでした
教室は現在奥野市民館に移りましたが、土田さんのご発展をいのるばかりです